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NPO会報第32号(第48号)


            NPO移植への理解を求める会 会報第32号      

6月・松山で第11回総会開く

「日本の腎移植はどう変わったか」

作家・フリージャーナリスト 高橋先生ご講演

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NPO法人移植への理解を求める会の2019年度(第11回)総会と記念講演会が6月2日、松山市大街道3丁目のいよてつ会館で開かれました。

総会は午前11時に開会。役員と正会員計約20人が参加、昨年度の事業報告や新年度の行事計画、予算などを審議しました。向田陽二理事長は親族のご不幸で欠席となり、野村正良副理事長が理事長を代行しました。

活動報告では、昨年7月、徳洲会グループが申請した修復腎移植の先進医療申請が厚労省の専門部会で承認されたこと、これを受けて9月13日に国会議員の超党派の会「修復腎移植を考える会」の成果報告会が参院議員会館で開かれ、向田理事長と野村副理事長が出席したこと、さらに今年1月31日、厚労省が修復腎移植の先進医療承認を官報で告示したことなどが報告されました。

新年度の事業では、引き続き、修復腎移植の推進事業や移植推進のための啓発活動などを進めていくことを確認しました。また香川県腎臓病協議会が8月4日に丸亀市で開く移植部学習会の講師に野村副理事長を派遣することなどを了承しました。

記念講演会は、当会の推進母体である、えひめ移植者の会と共催で、午後1時から開かれました。講師は作家でフリージャーナリストの高橋幸春先生。「日本の腎移植はどう変わったか」をテーマに、最新刊の著書の取材、執筆のエピソードや移植の話題について、お話しいただきました。








                          

 講演要旨    「日本の腎移植はどう変わったか」    


 修復腎移植騒動で万波先生取材

2006年に万波先生が修復腎移植の問題で日本移植学会やマスコミのバッシングを受け始めたとき、万波先生を知っている知人から「万波先生はあんな人じゃない」と聞いていた。そこで、万波先生のことを取材して雑誌に書こうと思ったが、学会やマスコミの非難の嵐の中で、ページを割いてくれる雑誌はなかった。そんななかで、文藝春秋の編集者がたまたま宇和島出身の人で「万波先生は、学会やマスコミが批判しているような人ではない。ぜひ宇和島に行って取材してください」と言われ、取材することになった。2007年の秋だったと思う。

 万波先生への取材申し込みは正攻法では駄目だと思って、特大の封筒に入れて手紙を出した。すると、先生から「何日の何時に来なさい」と連絡をもらったのだけど、先生を訪ねて行くと、取材ことをすっかり忘れていて、覚えておられなかった()

そこから取材を始めて、先生の部屋で話を聞いた。そのときにがんの腎臓を切ってどう移植するかを非常に分かりやすく説明してくれた。日本移植学会やマスコミは激しいバッシングを続けていたが、万波先生の話を聞くと、ずいぶん事実とは違うなと思った。また、取材をする前には、がんの腎臓を修復して移植をするという話に「ずいぶん乱暴だな」と思っていたが、移植を受けた患者さんに、がんの再発は一例もないと聞いて、それなら大丈夫だろうと思った。


文藝春秋に万波先生の手記掲載

そのころ、難波紘二先生(広島大学名誉教授)が修復腎移植を支持する論評をいろいろと書かれていて、それがずいぶん取材のバックボーンになり、役に立った。

また、患者さんの話を聞いた方がいいだろうと、野村さんや向田さん、がんの腎臓を移植した患者さんらにも会った。その結果を文春の「人間シリーズ」に書いた。

取材を通じての私の結論は「最終的な決断は患者にさせてほしい」というものだった。リスクがあっても、ベネフィット(利益)があれば移植をやってほしいという患者がいるのなら、最終的な判断は患者にさせてほしいということだった。

マスコミ関係者の中にも「万波バッシングは、やりすぎじゃないか」という考えはあったのだろうと思う。なんとかこの状況を変えなくちゃいけないということが私の頭にあって、有力なメディアの文藝春秋に「修復腎移植は第三の移植として絶対に有効だから、書かせてくれ」と、編集長に要望した。編集長は快諾してくれ、万波先生の手記という形にして、構成を私がするということで、話が決まった。

そのときの編集長が出した条件は「移植学会の反論を求めよう」ということだった。その約束のもとに、万波先生の手記と言う形で、2013年8月号に掲載した。移植学会には編集長から「こういう記事が出るから」と学会幹部に連絡したのだと思う。すると怒ってきた先生が一人いたそうだ。裁判の被告になった一人の相川厚先生で、かなり激怒して、移植学会の資料を使うなと、さんざん言ってきたそうだ。でも一切無視して「反論を待っています」と伝えたら、移植学会は何にも言ってこなかった。私も、編集長も拍子抜けした。

学会幹部と論戦すれば、患者側に有利に働くなと思ったけど、学会は沈黙したままだった。それで、(文藝春秋の)次のページをどうするかということで、瀬戸内グループの記事を出した。このときも何も言ってこなかった。おそらくこの段階で理論的な決着はついていたのだろうと思う。現在に至るまで、学会関係者は修復腎移植がいいか悪いかということは言っていない。


万波先生を評価していた大島先生

その後、「修復腎移植を支持する立場で取材したい」と言って、学会幹部の被告5人に申し込んだら、大島先生だけが受けてくれた。会って、そのとき思ったのは、移植学会の側から見た修復腎移植はどんなふうに見えたのだろうかということだった。彼らが変わらない限り、この移植は進まない。

そこで大島先生に、話を聞いてみると、移植学会の中で一番、万波先生を評価していたのは実は大島先生だった。(過去に)厚労省で移植の会議があるときに、万波先生に「出てきてくれ」と再三、要請している。しかし、万波先生は宇和島を一日空けて東京に行くような人ではないので、応じなかった。

結論を言うと、大島先生と万波先生が手を組んでいたら、今の移植の状況はずいぶん変わっていたと思う。

大島先生も移植学会の中では浮いた存在だった。先生は決して恵まれた家庭ではなかった。終戦直後の満州に生まれて、名古屋に引き上げてきた。お父さんが県庁に務めていたが、脳溢血で倒れて、その後は母子家庭になった。名古屋大学に入ると、(学費をかせぐために)ありとあらゆるバイトをしている。専攻課程に進んだとき、父親の友人で中京病院の泌尿器科の医師が、病院の部屋に住まわせ、卒業するまで面倒を見た。

その学生時代、医師について病棟を回っていて、慢性腎不全の患者の現状を見るようになる。60年代後半から透析治療が導入されるが、お金が尽きると透析を止めて、患者は死ぬしかない。その悲惨な様子を嫌というほど見て、移植医療へと進んだ。

アメリカに短期留学して勉強するが、移植が始まったばかりのころだったため、非常に苦労する。彼が医者になったのは70年で、一番最初の移植は73年。成績は悪く、思うようにいかない。70年代は失敗の連続で、患者の家族から責められることもたびたびだった。

そのように苦労して移植を進めてきた先生が、万波先生の批判をせざるを得なかったところに不幸というか悲劇がある。


「結論ありき」だった調査委員会

学会の万波批判のなかで、おかしいことの一つは、万波先生がインフォームドコンセントの書類を残していないことを挙げていたことだ。これは患者から訴えられたときに医者の言い訳に使うものだ。インフォームドコンセントが不十分だったというけれど、調査委員会は患者にそのことを確かめていない。つまり「結論ありき」だったわけだ。それが一番の問題だった。学会の関係者は「とんでもない医療が行われた」と頭から思っていたから、きちんと調査もしなかった。

もう一つおかしいのは、2004年に全米泌尿器科学会でデビッド・ニコルが万波先生と同じような修復腎移植の発表をしているのに、大島先生は「見たことも聞いたこともない」と裁判で証言したことだ。ニコル論文を掲載した小冊子を見せたら、「初めて見る」と言っていた。そこで「知らないではすまされない」「不勉強と言われてもしょうがない」と、非を認めている。

2004年の段階で万波先生と同じようなことをやっている医者がいるのに、結局、学会の先生方は「これは使えるかもしれない」と見抜けなかったということだ。それが私には信じられなかった。

閉鎖集団の中ではこういうことが起こりうるのかなと思った。情報に疎くなり、常識を覆すような論文には目が向かなくなるのだと思う。学会が歪んだ権威的な組織だということは大島先生も分かっているようだ。


原点に帰ってドナーを増やす努力を

日本では臓器が極めて不足しているなかで、やっと修復腎移植が認められた。しかし、臓器をいかに増やすかということを、もう一度原点に立ち返って考えないと、移植医療は衰弱していく気がする。臓器を増やすためには、私は時代を逆戻りさせた方がいいように思う。

医師や移植コーディネーターが家族を説得して提供された臓器は、一つはその関係病院で利用するという形が望ましい。そうでないと、公平に(人口比で)配分していると、人口の多い地域にほとんど持って行かれ、熱意がそがれてしまう。

国内で今の(深刻なドナー不足の)状況が続くと、何が起きるかというと、中国の移植が止まらない。今、パキスタンでもブローカーが間に入って、臓器を斡旋している。国際的な組織で、ロシアに連絡先がある。パキスタンで移植を受けた人たちの成績はよくない。

これから移植を受けたいという人たちにとっては、国内の状況は非常に厳しい。死体腎移植を増やさないと、どうにもならない。そういう現状にもかかわらず、学会は修復腎移植に顔をそむけて、海外での移植を黙認している。今の移植学会は解体した方がいいくらいだ。これからは、もっと患者が力を付けないといけないと思う。 ()


えひめ移植者の会 30周年記念総会と祝賀会開く

当会の第11回総会と記念講演会が開かれた6月2日、当会の推進母体である、えひめ移植者の会が、同じ会場のいよてつ会館で、同講演会の後、発足30周年を祝う令和元年度の記念総会と祝賀会を開きました。会員ら約30人が参加、会の足跡を振り返るとともに、今後の発展に向けて誓いを新たにしました。

総会では、平成30年度の決算、令和元年度の予算案、活動計画などをすべて原案通り、可決しました。このほか、小冊子「命の贈りものPart3」を年内に出版し、記念祝賀会を開催することを了承しました。

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このあとの祝賀会には22人が参加、なごやかに交流しました。アトラクションではハープ奏者の有森智子さん(腎移植者)と妹のオカリナ奏者、大川馨さんのコラボのほか、野村正良会長がフルートを演奏し、会場を盛り上げました。




 





 えひめ移植者の会の祝賀会であいさつする近藤俊文先生(市立宇和島病院名誉院長)

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    ハープの有森さんとオカリナの大川さん姉妹   

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  フルートの野村会長



報第32号

(通算48号)2019年

7月25日(木)発行

発行者 NPO法人移植への理解を求める会  理事長 向田 陽二

798-4101愛南町御荘菊川2290    電話085-74-0512

編集者                  副理事長 野村 正良

       〒791-8006松山市安城寺町1746-8    電話089-978-5434

発行所                  事務局長 河野 和博

       〒790-0925松山市鷹子町9282     電話089-970-3943


by shufukujin-kaihou | 2019-07-25 15:00 | NPO会報32号(48号)
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