NPO法人会報第3号(19号)

NPO法人移植への理解を求める会 会報第3号
        
修復腎移植の保険適用へ
臨床研究 早くも4例目

4月27日 宇和島徳洲会病院

修復腎移植を一般医療として定着させるため、医療法人徳洲会(本部・東京)が、昨年暮れ、宇和島徳洲会病院で臨床研究をスタートさせましたが、4月27日、早くも4例目が、同病院で実施されました。臨床研究の責任者で、東京西徳洲会病院顧問の小川由英先生が、同日、同病院での記者会見で発表しました。
それによると、ドナーは同病院の患者さんで70代の男性、レシピエントは60代の愛媛県内の女性です。前回と同様、光畑直喜先生(呉共済病院泌尿器科部長)らのチームが、ドナーの腎臓摘出手術とがん細胞切除を実施。その腎臓を、万波誠先生(宇和島徳洲会病院泌尿器科部長・副院長)らのチームが修復し、レシピエントに移植しました。手術の経過は順調ということです。
徳洲会は、今秋までに他人間の移植と親族間の移植を5例ずつ実施し、高度先進医療として保険適用を申請する考えを明らかにしています。

私たちは、臨床研究の着実な積み重ねによって、修復腎移植の保健適用の道が開け、早期に日常的医療として定着し、一日千秋の思いで移植を待つ多くの患者さんが救われるものと、大きな期待を寄せています。
私たちは今後とも、修復腎移植の推進活動に積極的に取り組むとともに、修復腎移植への理解を広く訴えていきたいと思います。皆さまの一層のご支援とご協力をお願いいたします。

レシピエントの順位決定
判定確認委「問題なし」


修復腎移植の臨床研究4例目の実施に先立ち、NPO法人移植への理解を求める会は、徳洲会の依頼を受けて、4月20日、松山市内のホテルでレシピエントの選定確認委員会を開きました。座長の吉田亮三理事(愛媛大学法文学部教授)と事務局の河野和博理事、外部委員の求める会顧問、大岡啓二医師(移植医・泌尿器科医)、野垣康之弁護士の5人の委員全員が出席=近藤俊文・市立宇和島病院名誉院長(内科医)は委任状提出=。徳洲会から送付された5人のレシピエント候補者の選定順位について、点数化などに誤りがないかどうかをチェックしました。その結果、問題がないことを確認し、同会に報告しました。

=====================================          
                             
5月30日 宇和島で
第2回総会と記念講演会

講師は小林先生(明治大学法科大学院教育補助講師)

NPO法人移植への理解を求める会は5月30日、宇和島市住吉1丁目の市総合福祉センター4階ホールで、第2回総会と記念講演会を開きます。記念講演会では明治大学法科大学院教育補助講師(法学博士)で文筆家、作家の小林公夫先生にご講演をいただきます。テーマは「修復腎移植の正当化と可能性」(仮)です。

小林先生は、修復腎移植について、これまで「「病腎移植」の正当化と可能性(1)(2)」(法律時報)、「「修復腎移植」への法学・医学からのアプローチ(1)(2)(3)」(日本医事新報)などの論文を発表されています。ご期待ください。

 当日は午前11時から総会(理事と正会員のみ)、午後1時から記念講演会となります。多数のご参加をお待ちしています。

▽宇和島市総合福祉センター(JR宇和島駅から宇和島港方面へ徒歩約10分)
   TEL 0895-23-3711 

                                   
======================================         
                                                               
第5回口頭弁論は5月11日

今年1月、松山地裁で開かれた修復腎移植訴訟の第4回口頭弁論に続き、第5回口頭弁論が、5月11日(火)午後1時10分から、同地裁で開かれます。
 弁護団長の林秀信先生は「今回から、裁判官が全員代わり、最初に印象を持つ大事な裁判となりますので、ぜひ多くの方の傍聴をお願いいたします」と、呼びかけています。
 傍聴される会員の皆さんは、午後0時50分に、同地裁に隣接する坂の上の雲ミュージアム前に、お集まりください。

 訴訟メモ                                    
<原 告>
野村正良(原告団長、修復腎移植者)、向田陽二(移植への理解を求める会理事長、生体腎移植者)、田中早苗(移植経験者、透析者)二宮美智代(同)=以上愛媛県=、藤村和義(透析患者)=広島県=、花岡淳吾(同)=岐阜県=、長谷川フヂヨ(患者遺族、故長谷川博さん<透析者>の母)=香川県=の皆さん計7人。

<弁護団>
薦田伸夫、岡林義幸、山口直樹=以上松山市=、林秀信(弁護団長、修復腎移植者)、光成卓明、東隆司=以上岡山市=の各弁護士の計6人。

<被 告>
田中紘一前理事長、大島伸一前副理事長、寺岡慧理事長、高原史郎副理事長と相川厚理事の計5人。

<訴訟の目的>
修復腎移植を否定する学会幹部らの不法性と、修復腎移植の正当性を明らかにする。

<訴状の骨子>
学会幹部らに対し「修復腎移植医療の正当性の判断に当たって、その意見が社会的影響力を有する立場にある移植医療、泌尿器系医療などの専門家であり、かつ関係学会の幹部の地位にある者が、修復腎移植に関して、真実と異なり、もしくは真実を歪曲した不利な事実、意見を社会、関係する官庁、議員、学会、報道機関などに流布させる行為は、民法上の不法行為における『違法な侵害行為』に該当するものである」としている。



論文紹介                                  
岡山大学大学院医歯薬学総合研究科の粟屋剛先生(生命倫理学)が、病腎(修復腎)移植と患者の意思決定権についてまとめた論文(抜き刷り)を、このほど、私たちの会にお送りくださいました。
論文によると、患者の意思決定権は、医学的妥当性に優先するとしたうえで、病腎移植の場合も、医学的妥当性がなくても、患者が説明をきちんと受けて、納得、同意(承諾)していれば、すなわちインフォームド・コンセントがあれば、原則的には問題ないと説いています。また、仮に高いリスクがあっても、患者が望めば、同様に、その意思が優先されるとしています。私たちの会の運動を大きく後押ししてくれる論文で、あらためて私たちを勇気づけてくれます。全文を、以下の通り、ご紹介させていただきます。


病腎移植の「医学的妥当性」と患者の自己決定
――生命倫理の視点から――
岡山大学大学院医学歯学薬学総合研究科 粟屋 剛教授


はじめに
 病腎移植は「医学的妥当性がない」という理由で否定されてしまう(倫理的に正当化されない)ものであろうか。「患者の自己決定」という視点からは、むしろ病腎移植、とりわけそのコンセプトは肯定されそうである。
 この「患者の自己決定」という考え方は、米国流の生命倫理(バイオエシックス)の中核概念である。現在、日本でも「患者の自己決定(権)」は医療のさまざな場面で定着しつつある。なお、いわゆる「インフォームド・コンセント」は、まさに患者の自己決定権を担保するものである。
本稿では、この「患者の自己決定」という視点からは、病腎移植のコンセプトは肯定されうる(倫理的に正当化されうる)ということを述べてみたい。なお病腎移植のコンセプトは、「廃物利用―臓器のリサイクルー」という経済学的な視点からも支持されうるが、その点の検討はおく。
 ここで一点、お断りしておくことがある。私は、いずれの当事者とも利害関係があるわけではない。もちろん、他意もない。一介の生命倫理学者として、論理と倫理に従って、意見を述べるのみである。

摘出患者の自己決定
 病腎、たとえば、癌の腎臓の全摘処置に医学的妥当性があるか否かはケースバイケースである。では、医学的妥当性がない場合、その処置は否定される(倫理的に正当化されない)のであろうか。医学的妥当性がなくても、摘出患者がそのことの説明をきちんと受けて納得、同意(承諾)していれば、すなわちインフォームド・コンセントがあれば、原則的には問題がないのではないか。これはまさに患者の自己決定権の問題である。
なお、病腎の全摘処置に医学的妥当性があっても、患者の同意(承諾)がなければ、緊急の場合を除いて、その処置は倫理的に正当化されないことに注意すべきである(これがいわゆる専断的治療行為)。さらには付言すれば、医学的妥当性がないのにあると説明して患者の同意(承諾)を得る行為は、患者の自己決定権を侵害するものであり、当然ながら倫理的に正当化されない。

移植患者の自己決定
一般論として、「ある医学的処置による治癒の見込みがなければその処置は医学的妥当性がない」とはいえないだろう。治癒なくしても延命の可能性やQOLの改善の可能性があれば医学的妥当性はある、といわなければならない。では、例えば提供された腎臓が癌で、移植後再発の可能性がある(高い)場合、そのような癌の腎臓の移植は医学的妥当性がないといえるだろうか。たとえ一時的にでもQOLの改善があるなら医学的妥当性がありといえなくもなさそうだが、一般には「医学的妥当性なし」と判断されるだろう。ここではそれを前提にする。
では、病腎、たとえば癌の腎臓の移植は医学的妥当性がないことを理由に否定される(倫理的に正当化されない)のであろうか。そうではない。医学的妥当性がなくても、移植患者がそのことの説明をきちんと受けて納得、同意(承諾)していれば、すなわちインフォームド・コンセントがあれば、原則的には問題がないと考えられる。たとえば数十%の確率で癌が再発するかもしれないが、患者が、「苦しい透析から逃れるためにあえて移植を選択する」という場合、その患者の意思が優先されなければならないだろう。これもまさに自己決定の問題である。ここではもちろん、患者がリスクを引き受ける。患者にとっては、一種の賭けの要素があるだろう。なお、医師の中には自己の信念からそのような移植医はしたくない(してはならない)と考える人もいるかもしれないが、もちろん、そのような医師はこのような移植を強制されることはないのである。
なお、個々の病腎移植について、「実際に癌が再発しないからその病腎移植が正当化される」というわけではないことに注意しなければならない。また病腎移植一般について、「癌の再発の可能性がない(あるいは低い)から病腎移植一般が正当化される」というわけでもないことに注意しなければならない(もちろん、再発しないに越したことはないが)。個々の病腎移植において、仮に癌が再発したとしても、また病腎移植一般について癌が再発する可能性がある(あるいは高い)としても、前述のようなインフォームド・コンセントがあればそれらは正当化されるのである。

医療パターナリズム
以上のように、「患者の自己決定」という視点からは、医学的妥当性がないという理由によって病腎移植のコンセプトを否定することはできないと考えられる。かつてわが国の最高裁は、エホバ信者輸血拒否(東大医科研)事件において、当該輸血処置に医学的妥当性があるにもかかわらず、患者の自己決定(正確には「意思決定」)を優先させて損害賠償請求を認めた。私は、医療のあらゆる分野において、究極的には、「医学的妥当性」よりも患者の自己決定(権)が優先すると考える必要があると思う。医学的妥当性がないという理由で患者の自己決定(権)を等閑視するのは残念ながら、医療パターナリズムといわざるをえないだろう。
米国の生命倫理(バイオエシックス)は、患者の自己決定権を武器に医療パターナリズムと闘ってきた。もちろん、移植医療を含めて、医療においてパターナリズムが全面否定されるいわれはない。それが必要な場面があるのは間違いない。しかしながら、基本的には、パターナリズムは自己決定権に道を譲らなければならない。病腎移植においても、まさにそうである。

おわりに
 大切なのは、常に何が真の倫理かを問うことである。形式論に終始していては、角を矯めて牛を殺すことになりかねない。医師の職業倫理の根幹は苦しんでいる患者を救うことである。医学的妥当性などがないことなどを理由に病腎移植の道を閉ざして救えるはずの患者を救わないとすれば、それが果たして真の倫理といえるかどうか。
    <東京医学社「成人病と習慣病37巻17号」(2007年12月)から>


会報第3号  
(通算19号)2010年
5月9日(日)発行発行者 NPO法人移植への理解を求める会 理事長 向田 陽二
     〒798-4101愛南町御荘菊川2290 電話0895-74-0512
編集者                 副理事長 野村 正良
〒791-8006松山市安城寺町1746-8 電話089-978-5434 
発行所               事務局・理事 河野 和博
〒790-0925松山市鷹子町928-2   電話089-970-3943
[PR]
by shufukujin-kaihou | 2010-05-08 09:37 | NPO会報第3号(19号)
<< 22.5.17 緊急報告(訃報) 22.4.27 緊急報告 修復... >>